病気について

病気について、よく耳にする言葉があります。
「この病気治るのだろうか?」とか、「病気なので、病院で治してるんです」とかです。

そこで、改めて病気について考えてみると、病気というのはそもそもどこから
病気になるのでしょうか?治るとはなんなのでしょうか?
そこで、考えてみましょう。

「病気」とはなにか?それこそ「医者に聞けばいい」という答えが返ってくるかもしれません。
まさにその通りといいたいところですが、そもそも病気という概念自体が、医学によって
作られたものではないような気がします。
むしろその逆で、病気という概念によって医学が作られたと言うほうが正しいようです。
簡単に言えば、まず人々が病気と認める現象があって、それを対象とする医学が生まれた
といえます。
 医学というのは、病気ということで持ち込まれた状態について、「ここが悪い」、
「あそこが悪い」、あるいは「そんなに悪くない」などと言えるだけで、
その状態がそもそも病気か病気ではないかということの決定権は持たないと言えます。

 病気、言い換えれば、「病む」ことであり、苦痛な心身の状態をさします。
「病は気から」と言うように「あれ?病気なのかな?」と思った
瞬間から病気なのだと思います。


大体、病気かなと思うと、病院にいきます。そして病気かどうか診てもらう。
病院で検査をすると、「なんともありません正常です。気のせいですよ」
と言われたとしましょう。
では、本当に病気ではなかったのでしょうか?
本当に気のせいだったということもあるでしょうが、そもそも体に不調があるのですから
その部分が病気であり、病気はしっかりと存在します。
ただ、検査では異常所見がないというだけです。
もしかすると、これから大きな病気に発展する予兆なのかもしれません。

じゃあ病気はどこから来るの?誰が治すの?と考えますが、
病気は自分の中にあります。

そう書くと、「なんだ気の持ちようか?」と言われるかもしれません、
もちろんそれもあるのですが、
自分の中とは、その人の生活習慣(食生活や睡眠)や環境、ストレス等のことだと思います。

例えば、酒が好きで、体がだるく、病院に行ったとしましょう。
「肝臓」に異常所見があり、治療したとします。
投薬や休養で肝臓に出ていた異常所見がなくなったとしても、
「飲みすぎ」という部分は自分でないと治しようがありません。
そもそもどうして「飲みすぎ」なければいけなかったのか考え直し
自分がその部分までも改善し、病院での所見も改善し
自分が「よくなった」(心地よくなった)と思った時が、病気の治った時なのです。


もうちょっと具体例を挙げるなら
重いものを持って、とか朝起きたときに腰が「ぎっくり」きた、(痛い)とします。
医者にかかって、骨などに異常がなく「安静にしていたら治りますよ」と
言われたとします。
 安静にしていたら腰痛が改善し、動けるようになりました。
さてここで、本当に腰痛症は治ったのでしょうか?
先ほどの説明からして、短絡的に「重いものもたなきゃいい」とか、
「無理しなきゃいい」とか、考えがちですが(間違いではないが・・)

そうではなく、「体の使い方が悪かった」、「体が普段から歪んでいた」
「普段から、運動などをしていなかった」もしくは「運動のしかたが間違っていた」
またはストレスがすごくかかっていた、、、
など、という部分にこの場合の病気は潜んでいます。

「痛い」などの症状を改善させるだけなら、安静や、痛み止めの薬などで改善します。
合理的に「それでいい」という方はそれでいいでしょう。
しかし、それではまたすぐに再発することになるでしょう。
もし長生きしたければ、今時医学も進歩していますので、臓器を取り替えたり、機器をつなげば
延命は可能でしょう。
しかもそのような対処では根本解決になっていないため、いい精神状態が保てるわけもありません。

「長生き」することと、「動ける」事とは、別問題なのです。
「痛くなくなった」事と、「健康に暮らせる」事とも別です。
どうせなら、「動けて長生きしたい」または、「心地よく健康に暮らしたい」ですよね。
体が健康ならば精神もまた健康です。

さあ皆さんも、本当の意味で自分の体から病気を追い出し、
健康に暮らそうではありませんか。

当「整体」では症状の改善に努めるほか、その根本的な部分の改善のお手伝いに
なればと、日々、努力させていただいております。

駄文で読みにくかったと思われますが、ここまで読んで頂いたことに感謝するとともに、
皆様のご健康をお祈りいたします。


注:「病気」については、感染症や、先天的なものの場合はこの限りではありません。
また、病院、医学などを決して批判するものでもありません。
むしろ今の医学の発展や情報により、昔に比べ一段と症状の改善や病気の予防
につながっているものと、考えられます。
ただ、それを利用する私たちがもっと「うまく利用」する事が大事だと思います。

2018年06月03日